CALAMARI CALAMATTE

佐野まいけるの日記

日記:時計台、見えなくなっちゃった

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昨夜は人生で最高の花火大会だった。こんな経験は二度とできないだろう。

花火は好きだが暑さや人混みに弱いので出かけるのは億劫、そのくせ動画で見るのはなんだか味気ない、というわがままな人間なのだが、今年はそのわがままを叶える素晴らしいチャンスが訪れた。

絶対に混雑しない穴場スポットを見つけたのだ。近所の中華料理店の屋上である。最近憑りつかれたように通っている店なのだが、店の屋上を花火観覧用に有償で開放する(飲み放題と軽食付き)というお知らせを発見して、即予約したのだった。

しかし店側としても初めての試みだそうで情報が少なく、軽食は何が出るのか、何が飲み放題なのか、テーブルや椅子はあるのかなど一切が謎。5千円弱という安くはない料金だが、混雑を避けて花火を見られることを考えると出るものが発泡酒と枝豆と乾きものくらいだったとしても十分価値がある、はずだ。好きな店の屋上に登れるというだけでもなんだかワクワクするし。

予約してから2週間、この日を楽しみにしてきた。私は日中所用があったので会社を休み、夫は午後半休を取って、もう準備万端である。浴衣を着ようか少し迷ったけれど、階段が急という事前情報があったのやめた(階段はマジで急だった。おばあちゃんちの階段より急。外階段だし)。

時間ぴったりに着くと、屋上の一角にはテントが設営され、子供1人くらい入れそうな巨大なクーラーボックス3つに詰め込まれた酒類と、芳しい香りの四川料理の数々、乾きものなどがテーブルにずらりと並んでいた。最高だ。

テントの奥には店で使っているしっかりとした椅子が数脚ずつセットで並べられ、足元には料理を置ける台。そしてそれらの椅子はすべて同じ方向を向いている。この方角に花火があがるのだろう。この空いっぱいに打ち上がる花火を想像する。

「本日はありがとうございます。初めてのことなので不備があるかもしれませんが、どうぞゆっくり花火を楽しんでいってください。料理もまだ出しますので、どんどん召し上がってください! 」という店主から挨拶に、自然と拍手が湧く。誰もが4年ぶりの花火を楽しみにしている様子だ。我々は3年前に越してきたのでこれが初めてなのだが、再開を心待ちにしていた人も多いのだろう。

花火が打ちあがるまで1時間ほどあったので、食いしん坊の我々はそそくさとテントへGO。名物の葉にんにく入り四川麻婆豆腐、エビチリならぬ軟体チリ(タコ・ホタテ・ムール貝が入っている)、八角のきいたチャーシュー、骨付き鳥の醤油煮、パリパリのあんかけ焼きそば、しっとりなのにパラパラなチャーハン。次々と追加される料理はすべてが熱々で、よく冷えた紹興酒まで用意があったし他の酒も豊富であった。

発泡酒と枝豆でもしょうがない、なんて自分で自分に強がってみせていたのだが、本当はこれが食べたかったのである。どんどん料理が追加されるので、安心してお腹いっぱい食べることができた。夢のようだ。

あとはゆっくり飲みながら花火を眺めるだけである。「花火をiphoneで綺麗に撮る方法」は事前に調べておいたので、画角を確認したりナイトモードで試し撮りをしたりしてテンションは最高潮。いよいよ予定時刻だ。

しかし花火があがる様子がない。でもまあ花火大会って得てして開始が遅れるものですよねと思っていたらドーン!と大きな音がした。「おー始まった!! 」と歓声が上がる。と同時に、何かがおかしいことに気付く。音しか聞こえないのである。光の方が早いのだから、音の前に花火が見えていなければおかしい。しかし、正面の空は先ほどと変わらず昏い。ドン、ドン、と音は続けど、一向に花火の姿は見えず。すると「あのマンションの裏だ!!」と端の方の誰かが叫ぶのが聞こえた。

あの屋上のどよめきを私は生涯忘れないであろう。ただ笑う者、呆然として固まる者、待てばいつか見えると信じている者、煙は見えるね!と微かな喜びを掬いあげる者、屋上の端ぎりぎりまで身を乗り出して花火の欠片を目に焼き付ける者。

我々は気付くべきであった。この店が開店したのは3年前。つまり我々夫婦と同じく、店主はこの花火大会をこの場所で一度も経験していないことを。花火が見えるかは賭けだったのだ。あと15度、いや10度マンションの位置がずれれば完璧な観覧席のはずだった。「不備があるかも」の不備のなかに「花火が見えない」が含まれているとは店主自身も想像しなかったことだろう。

それにしても面白すぎる。この店で最初で最後の花火観覧会に私たちは参加したのだ。いわば稲葉浩志の声が出ないB’zのLive-Gymみたいなものである(夫談)。開催者側の気持ちを慮るとやりきれないが、参加者の間では後の語り草となるレア体験と考えるとむしろお得である。

さてこれからが盛り上がりどころだぞと思っていると、花火が始まる直前にやってきた二人連れが音もなく去って行った。その後も一組減り、二組減り、あっという間に我々ともう一組だけになった。本当にみな花火目的だったのだ。まだ料理はたくさんあるのに。下の方から店主の謝る声と、いいですよ大丈夫ですよという声が聞こえてくる。怒ったり文句を言う人がいなかっただけでもよかった。

残された我々を含めた4人はというと、仲良く並んでyoutubeを観ていた。夫が公式の配信を見つけたのだ。ドーン……という腹に響く音を聞きながら、10秒遅れの花火を小さな画面で眺める。これぞ我々らしい夏である。

フィナーレと共に、これ以上ないほど悲しそうな顔の店主が屋上へ上がってきて我々に封筒を手渡した。一部返金ということらしい。何度も丁重にお断りしたが、結局最後には受け取った。私が店主だったら、受け取られないほうが多分辛い。

後には、でかい椅子20脚と、ゾウ1頭くらいは酔い潰せる量の酒と、美味しそうな料理8人前くらいが残った。あの急な階段をこの椅子を持って上ったのか。みんなの喜ぶ顔を思い浮かべながら……。終わってしまうと主催者側のしんどさがこちらまで染みてくる。しかし、ふんわりと片づけを手伝って余った料理と酒をお土産にいただいて帰り道を歩いていると、また急に面白さがこみあげてきた。もう一度youtubeの花火配信を大画面で流してそれを肴にもらってきた酒を飲もうと思っていたら、夫がぼそりとこう言った。「時計台、見えなくなっちゃった」

なんのことかわからずにぽかんとしていると、「キムタクの、ほら、古畑の」と言われピンときた。あれね。

ドラマ「古畑任三郎」で、キムタク扮する林功夫という犯人が観覧車のゴンドラを爆破しようとする回があるのだが、その動機をキムタクが告白するときのセリフが「邪魔なんだよあの観覧車。あれのおかげで、時計台、見えなくなっちゃった」なのである。

確かに私が中華料理屋の店主だったら、あのマンションを爆破したくなったかもしれない。「あれのおかげで花火、見えなくなっちゃった」

youtubeで花火を見るのはやめて、自前の「古畑任三郎 COMPLETE Blu-ray BOX」から当該エピソード「赤か、青か」を観た。この回は肖像権の問題で動画配信サービスでは見られないのだが、円盤にはバッチリ収録されている。久しぶりに見た古畑任三郎はやはり面白くて、続けて別のエピソードも観てしまった。

夫も気に入ったようだから、明日から少しずつ二人で観ることにしよう。当分はキムタクの顔を見ると、見てもいない花火を思い出すことなりそうだ。

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